骨と十字架 Keep Walking
2019.07.21 Sunday 19:00
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
信仰か、新考か。
信じるものを否定されたとき、人はどうなっていくのか。
あなたの神はどこに居られますか?
舞台の概要や雰囲気からお堅く難しい印象を受けていたのですが
5人で織りなす会話劇はとてもテンポが良く、時々クスッと笑ってしまう場面もあり、
そして感情のキャッチボール(いや一歩通行?)がとても激しく 濃厚であっという間の2時間弱でした。
みなさんお芝居はもちろん、声が良い。
この記事を書いている時点で3回観劇しています。正直に申し上げますと
1回目の観劇では1幕の終盤と2幕の終盤あたりで船を漕いでしまい、よく分からないまま終わり
とにかく衣装が素晴らしいなという感想くらいしか出てこなかったんですが(本当に申し訳ない)
一週間後、なんとなく2回目を観に行った時は「この舞台でいつ寝るんだ?!」と過去の自分にびっくりするくらい
違うものを見た感覚でした。そんなに大きくお芝居が変わったわけではないと思うけど、
登場人物それぞれが、場面場面で吐き出す感情の大きさが一回りくらい違っていた 気がする。
そしてこの面白さに気付いてしまったらどんどんハマっていく… 人間の欲とは恐ろしいものです…。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
己の探究心を神の導きだと信じ突き進んだ結果、主張を理解されず異端者とされ追放されるテイヤールに
尊敬と憐憫の情を覚えた… というのが最初の感想で、
回を重ねると この作品が伝えたいものって(↑これもあるかもしれないけど)そうじゃないな?!と思ったり。
3回目の観劇でやっと各キャラクターが言いたいことが分かってきました(遅い)
物腰は柔らかく丁寧なのに、その内容は己の感情そのままを隠さず相手にぶん投げている感じ…
他人とこんな言い合いが出来るの凄いな〜とビックリするのと同時にとても羨ましくなりました。
人間関係にヒビが入る様子がとても分かりやすくて面白かったなぁ。
みんな表面だけでなくその人の底から理解し合おうとしているからこそこうなるのだなと思いました。
本心をぶつけ合うほど溝が深くなっていく… それでもその溝を越えて手を取り合おうとしている。
「信仰」やら「宗教」の話と考えると、
日本人には馴染みの薄いものだと思われるかもしれませんし私も最初はそう思いましたが、
自分が選択するときの基準になるものや、希望や願望やら そういった導くものを“神”だとすれば
誰もがそれを自分の中に持っているものなのだなと思いました。
自分の行いが“正しい”と確信する理由はなんですか?それがあなたの“神” なのではないでしょうか。そんな感じ。
「進化」こそ「信仰」そのものである、という劇中の台詞を聞いて妙に腑に落ちました。
物語のなかでテイヤールは、頭蓋骨の発見により己の神を見失いかけるけれども
捨てることも諦めることもせず、信じ続けることを選択します。
というかそうするしかない。人間は前にしか進めないのだから。我々の祖先はずっとそうしてきたのだから。
いやでもテイヤールさんの人間はいずれ神に到達する論はびっくりしたし、
それを聞いて「何を言いだすんだコイツ?怖っ…」みたいな反応するリサンさんメッチャ良かった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
エミール・リサンというキャラクターが物凄く良いんです。好きだ〜。観たら分かります。
片手で眼鏡を外したり掛けたりするので眼鏡歪まないのかなーとちょっと心配になりました。
そんなリサンをテイヤールに出会わせた総長、物語終盤のリサンへの言葉が印象的でした。
両頬を包まれながらあの瞳を受け止めるリサン、どんな気持ちだったんだろうかと思うとワクワクしてしまいますね。
総長が望む結果にはならなかったのだろうと思うし、リサンはテイヤールに出会わなかった方が良かったのだろうか?
でも少なくともテイヤールにとってあの日のリサンは“救い”だったに違いない と私は思っています。
ラストシーンを見ていると、リサンはテイヤールの隣で一緒に祈りを捧げることは出来るけど
きっとテイヤールは一人で彼の神のもとへ歩いて行ってしまうのだから
一緒に並んで歩いていく事はできないのだな、と思うとなんとも言えない気持ちになりました。好きだ〜。
っていうかそれまでのふたりを観ていたら、あの場で一緒に祈ることができるリサンさん凄いと思う。
それを許可するテイヤールさんも。いやテイヤールさんは何も考えてないのかもしれない…。
リサンも総長も弟子のリュバックも、みんな結局テイヤールの行く末を予想して、それを恐れて、守ろうとして
それぞれがそれぞれに動いているお話でしたね。
あと検邪聖省のラグランジュも。少年漫画のライバルのようだった…!アツイ!
総長がラグランジュに望んでいたことを、テイヤールが叶えていたのがエモーショナルだなと思いました。
にしてもリュバックくんとんでもないことをしているぞ。動機がただ純粋に「先生の為を思って」なのが恐ろしい。
そんでもって自分の状況をあまり自覚していないであろうテイヤールさん…。図太いですよね。
その図太さと純粋さがあるからこそ辿り着くものがあったのだと思います。
あと天然たらしだと思いました。
テイヤールにミュージカル「最終陳述」のガリレオに近いものを感じたのが観劇するきっかけでもあったのですが
本編やパンフレットの解説でガリレオの名前が何度か出てきて「やっぱり!」(?)とテンションが上がりました。
ちなみに世界史とかなんたら学みたいなのには全然興味がなく知識もありません。
そんな人間にもこうして面白い!と思わせてくれる、こういった“演劇”はありがたいです。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
ステージには3つくらい燭台(という呼び方であってる?)が立っていて
その上のろうそくに、登場人物が火をつけたり消したりしているのが良かったし、
ろうそくの音や煙の匂いが届いてなんだかドキドキしました。あとステージサイド席のL側から見ると
人物に燭台の影が乗っかるのが良い…。限られた角度でしか見られない…。
場面転換での人物の動き方や、照明も良かった。照明はやっぱり正面ブロックから見た方が分かりやすい。
というかサイドからだと一部気付きにくい部分があったりする。サイド→正面の順で観たので驚きました。
一番印象に残るのは、やはり1幕ラストの テイヤールが頭蓋骨と対面するシーンだと思うのですが
あのテイヤールに重なる光の筋が、客席から見ると逆十字になっているのがたまらないですね。
リサンから見たら十字架に見えるのかな。
そうそうそうそうお衣装がとっても良かった。
描きました↓ うろ覚えもいいところなので写真付きの舞台レポートを探してもあんまり無くて困りました。
テイヤール役の神農さんと、リサン役の伊達さん お二人とも今回初めて拝見したのですが
すっごく素敵だったので他の舞台でも観たいと思いました。
観たいと思える人が増えるのは嬉しい!あと劇場。新国立劇場も好き。
おまけ
描き残したいシーンがいっぱいでした。
映像化は出来ないらしいと聞いたので、せめて上演台本を売って欲しい〜!売って下さい…
信仰か、新考か。
信じるものを否定されたとき、人はどうなっていくのか。
あなたの神はどこに居られますか?
舞台の概要や雰囲気からお堅く難しい印象を受けていたのですが
5人で織りなす会話劇はとてもテンポが良く、時々クスッと笑ってしまう場面もあり、
そして感情のキャッチボール(いや一歩通行?)がとても激しく 濃厚であっという間の2時間弱でした。
みなさんお芝居はもちろん、声が良い。
この記事を書いている時点で3回観劇しています。正直に申し上げますと
1回目の観劇では1幕の終盤と2幕の終盤あたりで船を漕いでしまい、よく分からないまま終わり
とにかく衣装が素晴らしいなという感想くらいしか出てこなかったんですが(本当に申し訳ない)
一週間後、なんとなく2回目を観に行った時は「この舞台でいつ寝るんだ?!」と過去の自分にびっくりするくらい
違うものを見た感覚でした。そんなに大きくお芝居が変わったわけではないと思うけど、
登場人物それぞれが、場面場面で吐き出す感情の大きさが一回りくらい違っていた 気がする。
そしてこの面白さに気付いてしまったらどんどんハマっていく… 人間の欲とは恐ろしいものです…。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
己の探究心を神の導きだと信じ突き進んだ結果、主張を理解されず異端者とされ追放されるテイヤールに
尊敬と憐憫の情を覚えた… というのが最初の感想で、
回を重ねると この作品が伝えたいものって(↑これもあるかもしれないけど)そうじゃないな?!と思ったり。
3回目の観劇でやっと各キャラクターが言いたいことが分かってきました(遅い)
物腰は柔らかく丁寧なのに、その内容は己の感情そのままを隠さず相手にぶん投げている感じ…
他人とこんな言い合いが出来るの凄いな〜とビックリするのと同時にとても羨ましくなりました。
人間関係にヒビが入る様子がとても分かりやすくて面白かったなぁ。
みんな表面だけでなくその人の底から理解し合おうとしているからこそこうなるのだなと思いました。
本心をぶつけ合うほど溝が深くなっていく… それでもその溝を越えて手を取り合おうとしている。
「信仰」やら「宗教」の話と考えると、
日本人には馴染みの薄いものだと思われるかもしれませんし私も最初はそう思いましたが、
自分が選択するときの基準になるものや、希望や願望やら そういった導くものを“神”だとすれば
誰もがそれを自分の中に持っているものなのだなと思いました。
自分の行いが“正しい”と確信する理由はなんですか?それがあなたの“神” なのではないでしょうか。そんな感じ。
「進化」こそ「信仰」そのものである、という劇中の台詞を聞いて妙に腑に落ちました。
物語のなかでテイヤールは、頭蓋骨の発見により己の神を見失いかけるけれども
捨てることも諦めることもせず、信じ続けることを選択します。
というかそうするしかない。人間は前にしか進めないのだから。我々の祖先はずっとそうしてきたのだから。
いやでもテイヤールさんの人間はいずれ神に到達する論はびっくりしたし、
それを聞いて「何を言いだすんだコイツ?怖っ…」みたいな反応するリサンさんメッチャ良かった。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
エミール・リサンというキャラクターが物凄く良いんです。好きだ〜。観たら分かります。
片手で眼鏡を外したり掛けたりするので眼鏡歪まないのかなーとちょっと心配になりました。
そんなリサンをテイヤールに出会わせた総長、物語終盤のリサンへの言葉が印象的でした。
両頬を包まれながらあの瞳を受け止めるリサン、どんな気持ちだったんだろうかと思うとワクワクしてしまいますね。
総長が望む結果にはならなかったのだろうと思うし、リサンはテイヤールに出会わなかった方が良かったのだろうか?
でも少なくともテイヤールにとってあの日のリサンは“救い”だったに違いない と私は思っています。
ラストシーンを見ていると、リサンはテイヤールの隣で一緒に祈りを捧げることは出来るけど
きっとテイヤールは一人で彼の神のもとへ歩いて行ってしまうのだから
一緒に並んで歩いていく事はできないのだな、と思うとなんとも言えない気持ちになりました。好きだ〜。
っていうかそれまでのふたりを観ていたら、あの場で一緒に祈ることができるリサンさん凄いと思う。
それを許可するテイヤールさんも。いやテイヤールさんは何も考えてないのかもしれない…。
リサンも総長も弟子のリュバックも、みんな結局テイヤールの行く末を予想して、それを恐れて、守ろうとして
それぞれがそれぞれに動いているお話でしたね。
あと検邪聖省のラグランジュも。少年漫画のライバルのようだった…!アツイ!
総長がラグランジュに望んでいたことを、テイヤールが叶えていたのがエモーショナルだなと思いました。
にしてもリュバックくんとんでもないことをしているぞ。動機がただ純粋に「先生の為を思って」なのが恐ろしい。
そんでもって自分の状況をあまり自覚していないであろうテイヤールさん…。図太いですよね。
その図太さと純粋さがあるからこそ辿り着くものがあったのだと思います。
あと天然たらしだと思いました。
テイヤールにミュージカル「最終陳述」のガリレオに近いものを感じたのが観劇するきっかけでもあったのですが
本編やパンフレットの解説でガリレオの名前が何度か出てきて「やっぱり!」(?)とテンションが上がりました。
ちなみに世界史とかなんたら学みたいなのには全然興味がなく知識もありません。
そんな人間にもこうして面白い!と思わせてくれる、こういった“演劇”はありがたいです。
ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー・ー
ステージには3つくらい燭台(という呼び方であってる?)が立っていて
その上のろうそくに、登場人物が火をつけたり消したりしているのが良かったし、
ろうそくの音や煙の匂いが届いてなんだかドキドキしました。あとステージサイド席のL側から見ると
人物に燭台の影が乗っかるのが良い…。限られた角度でしか見られない…。
場面転換での人物の動き方や、照明も良かった。照明はやっぱり正面ブロックから見た方が分かりやすい。
というかサイドからだと一部気付きにくい部分があったりする。サイド→正面の順で観たので驚きました。
一番印象に残るのは、やはり1幕ラストの テイヤールが頭蓋骨と対面するシーンだと思うのですが
あのテイヤールに重なる光の筋が、客席から見ると逆十字になっているのがたまらないですね。
リサンから見たら十字架に見えるのかな。
そうそうそうそうお衣装がとっても良かった。
描きました↓ うろ覚えもいいところなので写真付きの舞台レポートを探してもあんまり無くて困りました。
テイヤール役の神農さんと、リサン役の伊達さん お二人とも今回初めて拝見したのですが
すっごく素敵だったので他の舞台でも観たいと思いました。
観たいと思える人が増えるのは嬉しい!あと劇場。新国立劇場も好き。
おまけ
描き残したいシーンがいっぱいでした。
映像化は出来ないらしいと聞いたので、せめて上演台本を売って欲しい〜!売って下さい…